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映画「わたしは光をにぎっている」の試写を見てきました。

自分を出せずなかなか周りに馴染むことができない主人公の澪(松本穂香)がすこしづつ成長していく。
人も街も進化していくことが大切で、時代に合わせてアップデートしていく。
澪(松本穂香)の成長が描かれている物語は、光であり希望であり、映画を見ている人に希望を与えてくれるものです。

映画「わたしは光をにぎっている」予告動画

一方、進化と同時に、古いものはこの世の中から消えていく。
消えてなくなっていくものには、たくさんの大切な想いがつまっている。
この映画で描かれている再開発というアップデートは、その街にある想いや絆、空気を消しゴムで消していくよう。

主人公の成長で“得ていくもの”と、街の再開発で“失われていくもの”が対比するように描かれています。

 

 

だれもが必ず体験する大切なものの「終わり」を、感謝と美しい映像で描かれてる。

それはとても優しく詩的で温かい。

詩人 山村暮鳥の『自分は光をにぎつてゐる』ではじまり、澪(松本穂香)が口にする“苦しければ苦しいほど自分は光を握っている”で未来へ進んでいくような流れが美しい。

どの場面を切り取っても美しくて、見ている観客を虜にしていきます。

 

 

撮影中に営業していた銭湯は、もう閉められたそうで、

この映画に収められた今はもう無いレトロで愛おしい立石の風景は作品の中で生きていく。

主人公の澪(松本穂香)だけでなく、街の人々と、彼らが生きている街が主人公です。

毎日通る商店街、顔なじみのお店、誰かとの思い出が蘇る場所、好きな人と一緒に歩いた道。

ずっとあるとことが当たり前だった場所がなくなっていく。
そこにあった自分が無くなっていくよう。

 

本当に大切なものが見えてくるような映画です。

もう一度見に行きたい作品です。

 

 

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関連リンク

わたしは光をにぎっている


 

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